第34回社会保障審議会介護保険部会(H.22.10.07開催)の資料がでましたね。
ちなみに資料はこちら
私も薄学ですので、大層なことは言えませんが、少なくともあまり明るい未来はやってこないのかと、残念な、そして物足りない感じがします。
お泊りデイや高専賃、国がどんどん介入しようと意欲的ですが、国が介入して、よくなることはあまり無いような気がします。確かに、一部の愚か者がわけのわからない不正や悪だくみをしていることは看過できません。しかし、あまり市場原理に規制を強いる事は、委縮につながります。委縮は、事業所の運営、現場にも支障が出て、結果的に利用者への負担や不便に繋がることが目に見えています。悪質事業所は、制度発足から10年経ち、ある程度淘汰されてきてるし、国がいろいろ介入せずとも、これからもそうなると思うんですが。。。そんなことよりも、もっと根本的な議論をすべきなのでは?と感じてしまいます。
そもそも、介護保険はあくまで社会保険、「保険」なわけです。事故があってその損失を補填するもの。簡単にいえば、「事故」が加齢により、要介護・要支援認定状態になるということで、「損失」が事故に伴う機能喪失、障がいということ。はじめからそういう線をきっちり引いていれば、訪問介護グレーゾーン問題のように、窓ふきやっていいかだの、家族を乗せていいかなどの議論がほぼ不要になるわけです。ではなぜ、現状のようになっているのか?
その原因の一つは福祉的概念にあると思います。福祉的な考え、その人らしく、QOLの向上など、保険の考え方にあまり適さないことが多くなる概念がミックスされているんです。
今、禁煙ブームですが、もともと煙草を吸って、酒を飲んでいて、掃除もせず、気の向くままに生活していた人が、ある日疾病を患い、介護保険を利用し、ヘルパーが来て、家を徹底的に掃除してぴかぴかにされ、喫煙を注意され、酒を取り上げられ、となっていきます。そこで、確かに一般的には良いこと、でも保険ではそこまでするべきか?という議論が出てきます。福祉ならできる限りのことをしてあげる事は正しいかもしれません。もともと汚い部屋で住んでいて、疾病により機能障害を背負い、掃除をしてあげるということは、事故による損失にあてはまらないということになります。(わかりやすく極端な例示をしてます。ご容赦ください。)
今一度、保険での考え方重視なのか、福祉での考え方重視なのか、現実的に割り切れないことが多いでしょう。しかし、国はどれくらいの割合で考えているのか現場に示してもらいたいのです。それだけで、判断基準が生まれます。Case by caseという逃げ口上はいらないので、確固たる基準を現場は求めていると思います。
24時間体制のサービスの普及、レスパイトケアの拡充なども今回議論されているようです。夜間訪問介護の失敗はどこにあるのか?夜間訪問介護指定は取っていませんが、24時間で対応している私たちの意見では、単純に夜できる人材が少ない、意外とニーズがある地域と無い地域の差が大きく、事業として成り立ちにくい、この問題の背景は介護報酬の低さからくることもあるでしょうが、もっと根本的な問題があるはずです。また、家族で介護ができない、それは核家族だから?それもあるでしょうが別居していても介護する家族はたくさんいらっしゃいます。これもふまえると、根本的な問題がすこし見えてきます。
私はその問題として「余裕」がない社会構造だと思います。介護保険だけでは到底解決できない問題、それをなんとかして、介護保険で解決しようとしていると今回の部会資料は物語っているように感じます。
働かなくてはいけない、だから仕事が休めない、だから介護はできない。
子供を面倒見てくれる人がいない、だから家を離れられない、だから介護はできない。
そこには私も含め、生活に余裕が無いのではないでしょうか。
だからこそ、BI(ベーシックインカム)の議論であったり、待機児童の問題解決であったり、そのあたりの議論をもっと活性化して、それら周辺のアジェンダと並行して打開策を見つけるという方向性を持っていただけると、面白いと思うのです。
ベーシックインカムについては、こちらのブログが面白いと思います。
あと、資料の中で、7ページ目かな、Pay as you go原則なんてありますが、それを言い出したら、介護保険制度全体はどうなの?って気がしませんか?何をいまさら…という気がします。
たまにブログも更新しないと…、つぶやいてばかりではいけませんね。反省。