4/23 19:00より水戸協同病院にて、第1回水戸在宅ケアカンファレンスが開催されました。
いばらき診療所みとの院長、丸山善治郎先生の在宅医療の実際についてご講演をいただき、そのあと、グループに分かれて、今後の水戸在宅カンファレンスについてというテーマでグループワークを行いました。
私はなぜかグループの司会にすでに選ばれており(ランダム)、未熟ながら進行をいたしました。
参加者は、医師、ケアマネ(主任ケアマネも含む)、理学療法士、サービス提供責任者、通所相談員、管理者など多彩な顔ぶれでしたが、非常に活発、エネルギッシュな会となりました。自分も、この業界に飛び込んできた頃から、いろいろと教えていただいた多くの先輩方とたくさん交流、意見交換の場が持てたことも非常に大きな収穫だったと思いました。
司会がケアファクトリーの能本さんですから、活気が出ないわけがない(笑)
丸山先生も、非常に我々の意見に耳を傾けていただける紳士的な印象を受けました。
丸山先生から連携の一つとして、共通の言語を持つことというお話があり、私自身もそのことについては、非常に必要性を感じています。ただ、医療にしても、介護にしても、医療と介護をあわせたとしても、まだまだ閉ざされた世界という印象は捨てられません。
医師で作家の海堂 尊さんの「医学のたまご」の章タイトルにもあります「閉じた世界は必ず腐る」、様々な閉塞した社会が、今の現状を成立させています。オープンな世界というのは、医療にしても、介護にしても、誰の為に行うのかということを忘れてはいけません。医療と介護の連携というときに、医療について介護が勉強しなくてはいけないということは当然必要です。このカンファレンスも介護側がもっと医療について勉強をして、医療側に歩み寄るということも目的の一つと感じました。
介護は独立してはできません。当然ながら医療の情報や指示を担保とし、医療によるインフラがあり、その上に介護が成り立っているという構図は十分に理解しているつもりです。しかし、共通言語を医療と介護だけがわかるようにしては危険だと感じるのです。あくまで利用者やその家族が分からなくてはいけない。介護側は、医療情報を正しく、本質的に理解する努力をする必要があります。医療はその持ちうる情報や知識をいかに、医療の勉強をしていない人にわかりやすく伝えるかという工夫に対して努力する必要があります。あくまで利用者がわかるような言語として、共通言語を考えていかなくてはならないと感じました。
どんなに私達(医療と介護)が私達だけでの言葉で理解し合っても、わかりにくい言語で話し合われた内容に従って、利用者や家族がサービスを提供されても、最終的に満足度としては高いものになりません。それどころか、利用者の希望する形とならなかった場合については、それが不信感につながり、今後は訴訟問題などへの発展も十分に考えられる時代が来ていると思っています。
能本先生もお互いのベクトルを合わせていくとお話しされていました。そのベクトルが医療と介護の双方向だけではなく、それぞれが利用者へ向いたベクトルで利用者やその家族を支えあっていかなくてはならない、利用者を含む共通言語を共有してこそ、真の連携が成し遂げられるのではないか、そんなふうに感じました。だからこそ、もっとたくさんの異業種の方々との交流の場を持つことも、大切ではないかと感じます。私達の常識が、社会の非常識とならない為にも。
と感じた会合でした。
たまにまじめなことを書くと疲れますね(笑)
ここまで読んだ人もお疲れ様でした(笑)
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