お泊まりデイのニュースでの報道についておもうこと

株式会社ゆりかご デイサービス 介護保険制度

みなさんは、1/19のYahooニュースをご覧になっただろうか?

十人雑魚寝・口には…「無法状態」お泊まりデイ

たしかに、「口に粘着テープをはる」なんて、お泊まりデイでなくてもあり得ない行為。まさに虐待そのもの。8畳間に6人が雑魚寝。。。防火設備がない。。。

グループホームの火災で大変な事故があったことは記憶に新しい。そんな状況下でリスクマネジメントをまともに行っていれば、防火設備がないということは、経済的とか関係なく、駄目だろう。

この記事の一つ一つについては、その通りである。

しかし、この記事には悪意が込められているように感じる。

では、その「無法状態」にあるお泊まりデイは、どれだけあるのか?その割合を示すべきである。

例えば、『水戸市でのお泊まりデイは、○○カ所あって、そのうち、△△カ所は、「無法状態」ともいえる状況であった。』という形であれば、それはひどいね、などのコメントも理解できる。しかし、何か所調査に入って、何か所でおかしい状況だったのかがわからないのに、この記事は、あたかもすべてのお泊まりデイはやばいぞ!と過度な不安を煽る内容である。どんな考えを持っているのか、この記者と一度じっくりとお話ししてみたいものである。

そもそも、なぜお泊まりデイという形態ができたか?

ビジネス的な面としては、日中の箱モノを有効活用したいというケース、通所に来てもらえる間口を広げるなどのメリットもあるだろう。しかし、夜勤者の確保、食事提供の大変さなどコストパフォーマンスが良いかというと、疑問である。今流行りの、サービス付き高齢者住宅などの方が、よっぽど良いと思う。

私が思うに、お泊まりデイが生まれた原因は、社会資源不足が根本的な原因だと考える。

特別養護老人ホームの入所待ちの利用者は後を絶たない。しかし、在宅生活はもう限界だ、となると、短期入所や老人保健施設などへ入所し、一時しのぎする。療養型の医療施設だってそうだろう。それでも大変だからグループホームを利用する。認知症という診断がついていれば入所できるのでほとんどいっぱいの状態だ。

私もケアマネージャーとして、年末年始に家族の急な病変で在宅生活が一時的に困難になり、受け入れ先を探したケースがある。短期入所は急な対応で無理と言われ、訪問介護で一晩しのぐ。その後、グループホームを片っ端から連絡して、たった2件だけ空いていた。さっそく見学にいくと、空いている理由がわかるという感じの担当者の対応。雰囲気も悪い、空気も淀んでいる。

申し訳ないが自分の家族ならちょっと遠慮したい施設だけだった。

さあ、どうする?となったときに、助けとなったのがお泊まりデイである。急な依頼にも関わらず、心良く対応してくれた。雰囲気もあっとホームな雰囲気であり、利用者みんな笑顔だ。雰囲気や空気もよく、いやな臭いもしない。社会の受け皿が不足している現状で、とても助かった。家族もその施設を何度も訪問してくれて、こんな場所があってよかったと言ってくれたことを覚えている。

わたしたちゆりかごでもお泊まりデイを実施している。多くは、様々な施設で対応困難な方が半数、この場所を気に入って、長い時間過ごしたいというケースも多い。個室希望者には個室、多床室希望者には多床室。仕切りのない空間にも寝ている人がいる。これは、実際利用者が、その場所で寝たいという理由でそうしている。ある仲良し4人組は、「修学旅行を思い出す!」といってその場所を選んでいた。食事はすべて手作りで出来立ての料理を提供している。

手前味噌だが、弊社のお泊まりデイは夜間、日中ともに自信を持って自分の家族を預けることができる施設だと思う。自分もそこで親しい仲間たちと過ごしたいと感じる。

いろいろな理由があるにせよ、個室がすべての人にとって最高とはいえない。寂しさを紛らわせるため、横になって親しい人と話しながら、眠りにつくという雰囲気は決して悪いものではないと思う。最低○○平方メートル以上という基準が大切なのではなくて、その人がどのような空間を望んでいるか、そちらの希望に寄り添う視点の方が大切ではないだろうか?

利用者の望む暮らしと国の方針が一致することって、正直あんまりない。国は介護福祉士を多くしましょうって言っている。しかし、利用者にとって、目の前の職員は、介護福祉士であろうと、ヘルパー2級であろうとどうでもよいのだ。資格で安心を担保できるなんて大間違いだ。職員の心、倫理観、人格こそが大切な領域である。人員についても、私たちはデイホールに1名常駐、その他、同一敷地内にヘルパー2名、看護師1名は常駐している。完ぺきではないだろう。しかし、真面目に、目の前の利用者に一生懸命やっている。だからこそ、この記事には怒りを覚えるのだ!

国は在宅推進の舵を取っている。しかし、在宅を支える資源が少ない。定期巡回・随時対応型訪問介護看護なんて介護保険改正の目玉の割には、茨城県でゼロである。

24時間対応で動いている訪問介護の事業所はいくつかあるが、その中でもスタッフの人員などからニーズに対しては全く足りていないのが現状だろう。ちなみにゆりかごでも夜間から深夜の対応はしているが、介護保険での対応は定期的なものでは数件、障害福祉でも数件というレベルだ。(緊急時は除く。この対応は結構あって、契約者からの緊急の訪問依頼は、ほぼ100%対応できている)

国や保険者である市町村の働きかけも弱く、脆弱な在宅体制だからこそ生まれたし、需要のあるお泊まりデイを悪者扱いしたいなら、規則でも何でも作った方がよい。しかし、新たな介護難民は出てくることは必至だ。

もはや、制度だけではどうしようもない時代が来ている。だからこそ、地域住民のエンパワメント、家族のエンパワメントなのだ。それをやりやすい方向に国の具体的な施策が実施されることを願う。

前回の介護保険法改正でお泊まりデイの話題は持ち上がったが、結局何も行わなかった。ボトムアップは必要だが、この記事のような無駄に不安を煽る読者の反応を欲しがるだけの記事には本当にうんざりだ。それとも次の改正に向けて、世論にバイアスをかけるためのプロパガンダなのか?もっと、公正に判断のできる形で、記事を書いてもらいたいものである。

水戸市のある職員のコメントも、このような記事に、このような引用のされ方をしてなんとも思わないのか?思わないのであれば、真面目にしている多くのお泊まりデイを馬鹿にしているとしかいいようがない。ある一部の話なのに、と思っていれば救われるのだが。。

地域の事業所と保険者とで作り上げる地域の公的福祉。フォーマルとインフォーマルの融合、今後の課題である。

 

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